ファーマーズマーケット

物を買わずに得られる豊かさとは

「買わない」選択が教えてくれること

何かを手に入れるたびに、自分の中の“満たされなさ”が少しだけ消える気がする。そんな風に感じていた時期がありました。けれど、買った直後の高揚感は、意外と長く続きません。新品の靴、限定のコスメ、セールで買ったあの服。どれも家に持ち帰った瞬間がピークで、翌日には“いつもの日常”に溶け込んでいることに気づくのです。

そんな日々の中でふと、「本当に欲しかったのは、モノだったのかな?」と自問するようになりました。そして思い切って、“買わない”週末をつくってみることにしたのです。財布を持たずに出かける、ウィンドウショッピングだけで終わらせる、ネット通販のカートに入れたまま決済をやめる。最初は少しそわそわしたけれど、次第に肩の力が抜けていきました。

不思議なことに、何も買わない日は、どこか心が軽いのです。代わりに増えたのは、立ち止まって考える時間、目の前にある風景へのまなざし、そして誰かとゆっくり話す余白でした。

“体験にお金を使う”という楽しみ方

買い物を我慢することが目的ではありません。ただ、“買わない”という選択肢を持っているだけで、お金の使い道がもっと自由になると感じています。

たとえば週末、買い物の代わりに予約してみたのは料理教室。普段の生活では触れない素材を扱い、みんなで同じメニューを作るだけで、新鮮な発見がありました。自分で作った料理の味は、何よりも記憶に残ります。

あるいは、近くの公園で行われていたファーマーズマーケットに行ってみた日。買う予定ではなかったけれど、作り手の話を聞くだけで「もの」への見方が変わりました。ただ商品を見るのではなく、“背景”や“思い”に触れると、たとえ何も持ち帰らなくても、心は十分に満たされるものです。

大切なのは、「どこで、誰と、どんなふうに過ごすか」。持ち帰るのがモノではなく、感覚や記憶であっても、それは立派な“豊かさ”です。

心が動いた瞬間こそ、満たされている

買い物に依存しない生活に少し慣れてくると、「足りなさ」を埋めようとする気持ちが不思議と減っていきます。むしろ、心が動いた瞬間の方が記憶に残っていることに気づくのです。

たとえば、行きつけのカフェでたまたま飲んだ期間限定のハーブティーが驚くほど好みだったとき。図書館で手に取った本の一文に、なぜか胸がじんとしたとき。誰かと同じものを見て笑った帰り道。

そうした瞬間は、いくらお金をかけても“計画して得られるもの”ではありません。そして、そういう心の動きこそが、自分をちゃんと生きていると感じさせてくれるのだと思います。

モノは、手に入れた瞬間から古くなる。でも、体験は時間が経つほど自分の一部になっていきます。記憶の中で何度も再生される“あのとき”があること。それが、何も買わなかった週末から得られる、本当の贅沢かもしれません。